『男の産後うつ』になったようだけど女装したら治ったみたい

自分が癒やされれば、家族も癒やされる。

私が癒やされれば、家族も癒やされる。そんな関係を模索するブログ。

高岡ヨシさんの「私が私をやめたなら」を読んだ

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先日、高岡ヨシさんの「私が私をやめたなら」を読みました。

 

私が私をやめたなら

 

高岡ヨシさんのブログはこちら😊

yoshitakaoka.hatenablog.com

 

高岡さんのブログを知るようになってそれほど日は経っていないのだけれども、「詩は難しい」という思い込みのあった私に、すんなりと入ってきた☺️

 

どっちかというと詩は苦手なのに、なんでかな~と思っていたのだけれども、この本を読んでその魅力の理由がわかった❗😊

 

解釈を読者に任せてくれる度量

高岡さんの詩は、余白が適度にある。

余白があるというのは、言葉で説明しつくさずに、行間を想像させてくれることとも言えるかな。

言い換えれば、その余白、行間を、私の解釈で埋めることを許してくれるということでもあるね。

 

詩はそもそも余白が多いものだろうけど、高岡さんの詩は、私のような素人でも「なんとか解釈できるんじゃない❗❓」と思わせてくれる。

 

それぞれの詩の主体である人物像が明確だから、想像しやすいのかもしれない。

 とにかく、想像力を広げるギリギリの余白をついている。

 

 私にとっての高岡さんの詩の魅力はここかな。

 

一方、私のブログは、言葉を尽くして読み手を説得させるタイプ😜

「ねえねえ。わかってよ。私、こんな気持ちなのよ❗ねえ、わかるでしょ❓」

みたいに、私は自分の意見や感情を容赦なくぶち込んでいるなあ。

 

言葉で説得をしない、というのは、書き手にとっては勇気がいることだと思う。

自分の思いを正しく汲み取ってほしいというのは、人の持つ素朴な気持ちであるとも言える。

それをあえて余白化し、解釈を委ねるというのは、胆力がいることなんだろうな。

 

ところで、私は高岡さんの本を読んで、初恋の女の子との約束を思い出した😅

あの日の約束。約束が変質した呪い。

大切な関係の喪失。そこからの再生。

ああ、あの子、元気かなあ。今でも音楽やってるのかなあと、そんな気持ちになった。

(私はオカマだけど根は男なので、昔の恋は別名保存してるのよ😅)

 

謎+詩+物語

余白が多いからか、時系列や空間がバラバラに進んでいくためか、冒頭から謎が多い。

カート・ヴォネガットの「屠殺場5号」みたいだなあと思いながら読んでいた。

  

後半になるにつれて、だんだんと「ああ、こういう話かな」というのが見えてくる。

私の読解力の問題かもしれないけど💦、二度目に読んでようやく話の輪郭が見える。

そうなると、「あっ、この一連の詩は、ひとつの物語かもしれない」と思う。

「でもやっぱりひとつの物語じゃないかな❓」という気もしてきて、二度目、三度目をつい読む。

そのたびに新しい発見がある。

 

何度も味わえるお得な作品❗

これで120円は安すぎ❗

 

ということで、わたしのリンクを踏まなくてもいいから、皆さんにも買って読んでほしい😊 

私が私をやめたなら

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