『男の産後うつ』になったようだけど女装したら治ったみたい

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『家族や子供のために女装をやめられるか?』

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私、千田学さんという方は存じ上げなかったのだけど、この間このような記事を見た。

 

nikkan-spa.jp

 

難しい問題ですね……。

 

 

世間に負けて女装を止めてしまったら、子どもに「自由に生きろ」と言えない

千田氏としては「女装はやめられない」という結論。

理由は、自分の意思ではなく世間体を気にして女装をやめてしまうなら、子どもに対して「自由に生きろ」と言えなくなるから、というもの。

 

なるほどね。筋が通っていると思う。

親が子どもにしてあげられることのうち、親の背中を見せるというのは、確かに説得力があるとは思う。

 

ただ、私が答えるとしたら「別にどちらでもよい」かな。

 

「不自由」がわからなければ「自由」もわからない

千田氏の言うことは理にかなっていると思うけど、もし千田氏が女装を諦めたとしても、子どもはきちんと理解をするんじゃないか、と思う。

自分の美学を貫きとおす、筋の通った人生は確かにカッコイイ。

私もそう生きたい。

 

しかし、世間様に負けて筋を曲げざるをえなくなったとしても、親との信頼関係さえあれば、いつかは親の事情を斟酌して理解するのではないか、とも思う。

 

私が千田氏の子どもさんだったとして、

「父さん、世間に負けて女装を止めたんだ。でも、お前は自由に生きてくれよ」

と告白されたとしても、 

「自由に生きることをあきらめた親父には言われたくない❗」

とは思わないだろうね。

 もしかしたら

「親父の夢を俺が果たしてやる❗」

といって、かえって自由に生きるようになったりすることも、ありうるとは思う。

  

反面、もし子どもさんが

「やっぱり世間は怖い。俺は自由に生きるのをやめよう」

と思ったとしても、それはそれでよいのではないか、とも思う。

いつかどこかで、世間に迎合して生きることに、きっと行き詰まる。その時に、また自由について考えてくれたらそれでよい。

世の中は相対的なので「自由に生きる大切さ」は、「自由に生きることができなくて苦しい」ということがわからなければ、実感として理解できないのではないかな。

 

自由に生きることを背中で教えることはひとつの親心だとは思うけれども、

「父は自由ではなかった。でも、お前はどう生きるか、お前で感じたように決めろ」

と子どもを信頼して、判断を子どもにまるっと委ねることも、親心なんではないかと思う。

これを「無責任」と言わば言え。

(言いたいことは明白なんだけど、うまく言語化できないな)

 

私は、家族や子どものために女装をやめられるか

場合によっては、私はやめられそうな気がする。

いや、女装は本当に好きなのよ。

女装している時の解放感は、他のものでは代替できないしね。

 

でも、私は性自認に違和感があるわけでもないし、私にとっての女装は、生きづらさを克服する手段の一つなので、私の人生では不可欠とまでは言い切れないかな。

生きづらさがもっと軽減されたり、他に生きづらさを劇的に解消する手段があれば、女装はしなくなるかもしれない。

今のところ止める予定はないけど。

 

女装する人の中でも、女装に対する思い入れや事情は人それぞれだしね。

彼は彼。私は私。

いろいろあって、いいじゃない😉

 

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