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新海誠監督作品と、ロマンチックラブの否定

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『君の名は。』のBD&DVDが発売ですね。

私は『秒速5センチメートル』の公開時から、新海誠監督の作品が大好きです。

 

私が新海監督作品を好きな理由はロマンチックラブを否定しているところなんだけど……これだけじゃ何のことだかわかんないよね😅

 

 

新海監督作品に通底する「ロマンチックラブの否定」というテーマ

新海監督の劇場公開4作目『星を追う子ども』のティーチインで、新海監督はこういうことを話している。

『星を追う子ども』公式サイト/新海 誠 最新作

 

肝心なところを引用しよう。

 

(新海監督の初期3作について)実ははっきりとやりたいことがひとつあって、それは“ロマンチックラブ”を否定する作品を作りたいとずっと思っていたんですね。

(中略)

必ずしも“ロマンチックラブ”の成就だけが人生の幸せではないと。それをアニメーションでまっすぐ描くようなタイプの作品を作りたいと考えていたんですよ。 

 

この「ロマンチックラブ」について、新海監督はこのように話している。

少し長いけど、かなりユニークな観点だと思うので、引用します。

 

“ロマンチックラブ”というのは社会学の言葉で、誰か一人の決まった運命の相手と、人生でめぐり会ってその人と恋をして結婚して一生幸せに過ごすっていう、社会学のイデオロギーなんです。それって、近代家族の構成とも相性がいいし、アニメや漫画の中でも繰り返し用いられるモチーフで、「たった一人の相手がどこかにいるに違いない」という話ってロマンチックでいいじゃないですか。場合によっては、人生を超えて生まれ変わった次の世代で前世の恋人とめぐり会うとかね、そういうものってアニメーションや漫画の中であふれていて、それはそれで僕も好きなモチーフなんですけど、でも現実世界はもう少し複雑で、場合によっては残酷で豊かなものであると思うんですよね。

 

ロマンチックラブが成就しない、残酷で豊かな現実世界

これについては私にも経験がある。

私の初恋は中学1年生の時で、その初恋は当然実らなかったのだけれども、初恋の子が帰国子女だった影響で、私も英語が好きになって勉強するようになった。

そのおかげか、私は大学でもそういう学部に進学したし、今も英語を使った仕事をしている。

初恋は実らなかったけれども、初恋がきっかけとなって今の自分が形成されていることは疑いのないことであり、新海監督の言う「ロマンチックラブが成就しない、残酷で豊かな現実世界」というものは、実感をもって理解ができる。

 

さて、『君の名は。』はどうか

『君の名は。』でも、ロマンチックラブが描かれている。

瀧と三葉は、肉体が入れ替わる。いわば、他人であって自分でもある。自分の半身であり、「かたわれ」であり、ソウルメイトでもあり、運命の相手とも言える。

(『君の名は。』では「かたわれ」が重要キーワードでもあったね)

 

瀧と三葉は、ある時から入れ替わらなくなるのだが(喪失)、努力によって再会する(邂逅)も、再び喪失し、また邂逅をする。

運命の相手を喪失してしまったのに、その関係を取り戻すことは、一見してロマンチックラブを肯定した王道ストーリーのようにも思える。

『君の名は。』で、新海監督は「ロマンチックラブの否定」というテーマを込めたのかどうか、私にはわからないけどね。 

 

ただ、三葉の記憶をなくした瀧が就活で『東京だっていつ消えてしまうかわからない』といい、記憶に残る風景を作りたいという動機で、建築業界を志望するシーンがある。

 このあたりから推察して「運命の相手を失っても、その影響を残したまま、なお人は生きる」というテーマが流れていると思いたい(願望)

 

だって現実社会では、私たちのほとんどは喪失を受け入れて生きざるを得ないでしょ。

それゆえ「ロマンチックラブを否定する」作品は、別の言い方をすると、私たちの現状肯定の物語なのではないか、と思うからね😉