『男の産後うつ』になったようだけど女装したら治ったみたい

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國分功一郎『中動態の世界~意思と責任の考古学』を読む

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人には意志ではどうしようもないことがある、というのは、誰にでもある程度理解できると思う。

それを理解しておきながら、人の行動に対して意志や責任を求めるのはなぜか?という問いを、哲学者が言語学にもとめるという面白い本を読みました。

この本に出会っていたなら、私はもう少し早く救われたのにと思える本だったので、少しレビューしたいと思います😊

 

 

中動態とは何か

例えば、私が誰かにお金を渡すとする。

テロリストの思想に賛同して資金を渡したのであれば、それは私に意志があったから(私の責任が濃厚)とみなされる。しかし不良からカツアゲをされて仕方なくお金を渡したとなると、私の意志ではどうしようもなかった(私の責任は薄い)とみなされる。

このように、同じ「渡す」という行為ではあるけれども、状況によって、そこに意志や責任が生じたり生じなかったりするよね。

かつて印欧語族の言語では、「なにかの行動をするが、それは意志とは関係なく、仕方なくやってしまっている」ことを示す態が、能動態(する)や受動態(される)の他にあったのだそうだ。それが「中動態」と呼ばれるもの。

(かなり私なりに乱暴に解釈しているので要注意)

 

私の中の「やってしまっていること」

私は、奥さまに対して精神的なDVをしていた時期があったのだけれども、それは中動態で表せられるような行動だったと思う。

私がした精神的なDVとは、怒鳴ることや無視することだった。これは私の行動であって、私に責任があるとみなされる。私は「DV男なんて最低」と言われても仕方ないし、奥さまから離婚を突きつけらるという形で責任を求められてもおかしくない。

 

私自身も、これは私に非があり、責任があると思っていた。だって、行動(DV)の主体は私なのだから。

そう思えばこそ、私は苦しかった。私の責任だからDVを止めたいという気持ちがあるけれども、どうしても自分でコントロールできずに苦しかった。

だからといって、私が私の行為を正当化するつもりはないけれども、中動態的な概念――すなわち、人は意図せずにやってしまっていることがある――ということを、あの時にわかっていたら、私の苦しみは軽減されていたように思う。

 

DV加害者の自発性を引き出す可能性

私が通っていたDV加害者のためのワークショップには、多くの参加者がいた。そのほとんどは、自分がDVをした結果、家族や警察や弁護士、医師に勧められて(中には復縁の条件として)、外発的にワークショップに参加している人だった。

そういう人は、最初はしぶしぶ参加するのだけれども、ワークショップのカリキュラムを通じて、DVをする原因は生きづらさ、男らしさへの呪縛にあることを学んでいく。

そういうものを、加害者同士で話し合いをしながら、自分がとらわれていた価値観からの脱却を図っていく、というのがワークショップ。

 

もし、中動態的な考え方――自分の中にあるなにかが原因で、DVをやってしまっている――というのが広く認知されるようになれば、外発的ではなく、自発的にワークショップへ行くDV加害者も増えるのではないかと思う。

 

この著者の國分功一郎さんによると、中動態は、人の行動に責任が求められるようになってから、衰退をしていったらしい。古代ローマの時代には、もう衰退をしていたようだ。

日本語で示すことのできない色は、日本語話者には見えないように、言語が思考や感覚に影響を与えている。だから、中動態の衰退とともに「仕方なくやってしまっている」ということについての認知もされなくなり、責任は行動を取る人にあるという考えが主流になったのだろう。

行動の責任は、すべて行為者が負うという考えのもとでは「俺はDVなんてやってない!」「俺には責任がない!」「俺を怒鳴らせるあいつが悪いんだ!」と、自分の責任回避をすることになりかねない。

私たちは、風邪をひけば病院へ自発的に行く。この時「インフルエンザにかかるなんて、自覚がなさすぎる。健康管理を怠っていたあなたに全責任がある」と、医者から非難されようなものならば、病院に行く気も失せる。

ウイルスによって風邪を引いてしまったのだ。私の責任ばかりではない、と思っていればこそ、病院へ行くハードルはさがることになると思う。

 

DVだけの問題ではない

自分の意志とは関係なく、そうなってしまっていることは、DVに限らず、世の中にはたくさんある。

叱りたくないのに、子どもを叱ってしまう。

依存を止めたいのに、依存してしまう。

怒るのを止めたいのに、怒ってしまう。

食べすぎないようにしたいのに、食べてしまう。

 

そうできない自分を責めるのではなく、仕方なくこうなってしまうと認めると、自分自身への向き合い方も変わり、あわよくば自分を癒やす方へ向かうのではないかな。

 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

 

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