『男の産後うつ』になったようだけど女装したら治ったみたい

自分が癒やされれば、家族も癒やされる。

私が癒やされれば、家族も癒やされる。そんな関係を模索するブログ。

加害者であることを受け入れるようになったきっかけ

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私は奥さまに対する暴言や無視を治すために、DV加害者のワークショップに通っていたというのは、何度か書いている。

自分の意志で参加を決めたのではあるが、正直な話をすると、それでも100%納得して参加をしたわけではない。自分からすすんで参加をしているくせに、何を言っているのかわからないと思うけど……😅

 

 

ワークショップに通うけれども、DVをしているとは認めたくない気持ち

私は心のどこかで

「DVのワークショップには通うけれども、私は奥さまに手をあげたわけではないし、DVをしているとは認めがたい」

という気持ちがあった。

もちろん、奥さまに対する無視や暴言はやめたいとは思っているのよ。でも、自分ではDVをしているとは受け入れがたいのよね。

私が悪いのはわかっている。でもね……という気持ちが拭えない。

 

DVのワークショップに行くことを奥さまに話したときも、奥さまは

「DVだとまでは思わないけど……」

と私に言った。これはかなり私の心を揺らした。奥さまがそう言うのであれば、これはDVではないのだ。私は無実なのだ、という気持ちが湧いてきて、参加するのはもうやめようかと何度も思った。

 

私にとって、自分が加害者であると認めるのは非常に難しかった。自分の言い分を主張したくなる気持ちが止められないし、DVだと認めてしまうと、自分が幸せな家庭を築くことに失敗した落伍者の烙印を押されるような気持ちになっていたからね。

(いやまあ、紛れもない落伍者なのだけど)

 

同じ問題を持つ男たちの中で

そういう気持ちのまま、ワークショップに初めて参加した時は、ものすごく緊張をした。

先入観で語ってはいけないとは頭ではわかっていながらも、身体的暴力を振るった人も参加するのだということを考えると、不安な気持ちが止められない。

そして、とても卑しいことに

「私は身体的暴力まではやっていない。そういう人とは一緒にされたくない」

という気持ちも湧き上がる。

これは正直な告白。

 

それぞれに異なる状況や背景

ワークショップでは、自分がDVをしてしまう状況や背景、そして自分の生い立ちなどを共有をしていく。その状況や背景、生い立ちというのは、人それぞれなのよね。当たり前なんだけど。

 

身体的暴力をした人もいれば、私のように暴言や無視をしてしまう人もいる。

配偶者に対して発動する人もいれば、子どもに対して発動する人もいる。

酒を飲んだ時に起きる人もいれば、ケンカしてカッとなって起こした人もいる。

機能不全家族で育った人もいれば、良好な家族関係で育った人もいる。

これまで何度も繰り替えてしている人もいれば、たった一度だけという人もいる。

 

私が感じたのは、DVを起こしてしまう状況や背景は一様ではなく、人によって全く異なるということ。そして、人によって異なるのであれば、私がやっても全く不思議ではない、ということだった。

 

加害者にならないなど断言はできない

何がどうなって加害者になるのかなんて、誰もわからない。彼らも、私も、これを読んでいるあなただって、絶対に加害者にならないなんてことは言い切れないのだ。

そして、身体的暴力だろうが精神的暴力だろうが、そこには本質的な違いはない。私だって、たまたまその時には精神的暴力しか発出しなかったけど、絶対に身体的暴力をしないということも断言できない。

やってしまう人とそうでない人は、紙一重だ。

 

まるでナイフの刃の上を歩いているかのように、私たちは危うい場所を歩いていて、いつ、どう転んでも不思議ではない人生を歩んでいる。

私はDV加害者のワークショップで、そういうことを感じ取った。理屈で「私は加害者だ」と納得したのではなく、その場にいる同じ境遇の人たちとの相互作用の中で、納得ができた感じだ。

 

そう感じたときから、自分が加害者であることを受け入れることができるようになった。そして先日も書いたとおり、加害者であることを受け入れることから、DVをしない自分づくりが進んでいった。

 

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