『男の産後うつ』になったようだけど女装したら治ったみたい

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私が癒やされれば、家族も癒やされる。そんな関係を模索するブログ。

自分がしている我慢と同じ我慢を他人に強いるようになったら、心の赤信号

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「私がこんなに我慢しているのに、なぜあなたは我慢をしないの?」

「私と同じように、あなたも我慢しなさいよ」

という思考は、私の特徴的な性格の一つ。

これが非常にやっかいなのよね😅

今日は、こういった私の性格との付き合い方について話します。

 

 

我慢にまつわる私の特徴

他人に対しても同じように我慢を強いる時、要するに私は義務に対してキャパがいっぱいいっぱいなのだ。

私の中で赤信号が灯っていると考えてもいい。

 

分担割合やクオリティの問題は確かにあるにせよ、私はキレて、物理的に(多少は)楽になったことには違いない。しかし新たな不公平感や不満が湧き上がる。どうも私としては、分散させて楽になることが目的という他に、私の苦労を理解し、尊重してほしいという気持ちも大いにあるようだ。

 

他人が同じ我慢をしてくれなければ、どうするか

しかし、他人にもキャパがある。私とはスキルも経験値も異なるので、私と同じように負担もできないし、私と同じようなクオリティで仕事をすることは、そんな簡単にはできない。

では、私はどうすべきか。

残る手段は、果たすべき義務についてハードルを下げることではないかと思う。

 

 

いやもちろん、分担したり、何かの解決策があって(例えばAIやIoTなんかで大幅に効率化するとかで)負担軽減できるんだったら、それがいいに決まっている。

しかし何事にも現実的な水準というものがある。どうしても解決策がないのであれば、

「もう私はこれ以上は受けられません。あしからず」

と、自分の限界点に線を引き、限界点を越える事については受けないと宣言をするしかないのではないかと思う。

 

私の場合は、物理的に負担を軽減するということのほか、心理的にも私の苦しみを理解し、尊重してほしいという気持ちが大いにある。残念ながら、他人が私の心の中を覗き込み、私の苦しみを理解し、尊重することは、難しいと思う。

となれば、他ならぬ私自身が、私の苦しみを理解し、尊重してあげるほかはない。それなしに我慢を続けることは、自分で自分を裏切り続けていることと同じこと。

唯一無二の私以外のだれが、私を理解し、尊重できるというのか。

 

心に赤信号が灯ったとき、私の限界点を超えるほどの義務は「抱えきれない」と認めてしまい、抱えきれるぶんだけを負担するように、自らのハードルを下げるのが最善だと思う。

 

 

リスクを負ってでも、私は私自身を全力で守ると決めたのだから。

 

えっ?そんな無責任なことはできないって?

その気持ちは大いにわかる。

でも、自分自身に対して無責任であることを放っておく道理もないのよ😉

 

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