「男の産後うつ」になったようだけど女装したらなおったみたい

「向いていないから止めたほうがいいよ」と言ってくれる人こそが、自分を承認してくれるホンモノの人

【スポンサーリンク】

忙しいことを言い訳にはしたくないのだけれども、久しぶりの投稿になってしまいました💦

ちょっと予定を詰め込んで営業活動をしていたこともあって、おかげで小さな仕事はいくつか取れたのだけど、休んでいない反動からか、私の持病でもある閃輝暗点+偏頭痛が3日連続で起こるなど、ちょっと身体と心の両方に負担になっているのかもしれません。

自分で言うのも何だけど、私は「頑張りすぎる」クセがあって、これがなかなか抜けません😓

そして今日はこの「頑張りすぎる」ことについて、私の敬愛する二村ヒトシ監督の記事を紹介したいと思います。

 

 

二村ヒトシ監督という異才が見た「性と自傷」 

少し前の記事になるけれども、二村ヒトシ監督が毎日新聞のインタビューに応じた際の記事があります。

 

 

この記事の要旨を私なりにまとめると、

  • 自分の意志で仕事を選んだとしても、その仕事に「向いている人」と「向いていない人」がいる
  • 向いていない人の一例としては、強い承認欲求を満足させようとして、頑張りすぎてしまう人
  • 頑張り過ぎることで「上っ面の達成感」だけを高め、それが何かのきっかけで崩壊してしまうこともある
  • 強要や洗脳する側(悪質な製作者側)はそういう「頑張り」を悪用する
  • その結果、女優がそれぞれ持つ、性に対する価値観が無視され、数字の取れるもの(例えばハードな内容)が製作者側によって強要される
  • 強要の背景には、ハードさを求めるユーザーニーズもある。ハードさを求める裏側には「侮辱」「支配」といった男性的な精神構造があるのではないではないか

 

これはΑV業界についての記事なんだけど、ここで監督によって語られている内容は、私たちの日常生活――つまり会社や家事・育児――でも同じことがいえるんじゃないかな。

(つーか、ΑV業界の論理は、ブラック企業の論理と同じだよね)

 

私たちの日常生活における「頑張りすぎる」ということ

例えば、今の私もそうなんだけど、会社でも頑張りすぎる人っていると思うのよね。自分が選んだ仕事だし、仕事で認めてもらえなければ自分には価値がないと思い込んで、過度に頑張り過ぎるような人がね。

仕事で認めてもらうのに、最も手っ取り早い方法は、数字で結果を出すということ。私も30代はじめくらいの頃には無理をして、数字が取れる、難しくてややこしい仕事をよく取ってきてたなあと振り返って思う。

 

ちょうど30代のはじめの頃の私は、オリンピックに関係する仕事をちょっとしてたんだよね。オリンピックに関係する仕事って、かなり大きなお金が動くし、ヘマが許されない。私は映像の中継に関わっていたから、「お前のせいでオリンピック中継が日本で見られなくなってもいいのか」なんて脅されたことも何度かあった。

でも、これを乗り越えたら、賞賛されるような大きな売上を作ることができる。それをやれば皆から認めてもらえる。やり抜かなければ、私には価値はないのだと、そういう心理状態を圧しながら、「私はへっちゃらよ」みたいな顔をしていた。

で、取引先や私の会社は、私にもっと努力をするようにと求める。私が苦しさを圧しながら仕事をするものだから、要求はエスカレートしていくわけよ。

そうなると、身体と心に異変が起きる。変な話かもしれないけど、あまりのプレッシャーのために、私はお風呂に入れなくなった。服を脱ぐのが怖くなった。理由はよくわからないけど、何も身につけていないということが、心細くて不安だったのだろうと思う。身体が震えて止まらなくなったこともあった。

 

で、なんとかオリンピックの仕事はやり遂げたけども、私は「もうこんな仕事はコリゴリ」と思い、直後に仕事を辞めてしまった。会社に認めてもらうために頑張ってたのに、その会社を辞めちゃうなんて、バカだよね😅

そんなんなら最初からやらなきゃよかったのにね。

 

私の例は仕事のことだけども、当然に家事や育児の現場でもこういうことはあると思うな。家事も育児もやり遂げなきゃ私には価値がない。で、無理をしてでもやり遂げてしまうものだから、家族の要求もエスカレートするという循環は、確実にある。

 

だからといって「頑張らない」のも難しい。だって身体がかってに「頑張ってしまう」のだから

そう思うと「じゃあ頑張らなきゃいいじゃん」って思うだろうけど、頑張る人の特徴としては、意図せずに身体が勝手に「頑張ってしまう」というのがあるんじゃないかと思うんだよね。

承認欲求のためであったり、自分の存在の確認ためにやってしまっているので、頑張ってしまう人には頑張らないという選択肢はないんですよ。かつてそうだった私としては、これは断言できる。

 

私も頑張らないためにいろいろやってはいるけれども、それでも今のこの時点で「頑張ってしまう」クセは抜け切れていない。個人の性格を変えるのは難しいので、じゃあどうするかというと、構造で変えていかなければならないんだろうね。

例えば前述の二村監督は、こういうことを言っている。

 

性にまつわる行為には一人一人で異なるデリケートさがあるはず。本来はメーカーや監督がその子の個性、心の適性までを真剣に考えて出演作を決めなくちゃいけないのに、時間も予算もない中で「こういうビデオが売れるから、次はこれ」と数字(売り上げ)だけで判断し、人体なり心なりに何らかの「アタック」を与えるものをやらせる。

 

数字(売上)などに惑わされずに、「あなたには向いていないから、止めたほうがいいですよ」と言ってくれる人こそが、自分を承認してくれるホンモノの人なのだろう。

業界としてはそういう良心を持つこと、そして個人としては、自分の個性や心の適正までも真剣に考えてくれる人を、身近に一人でも多く持つことが肝要といえるかもしれない。

これも簡単にはできないだろうけどね。

f:id:minaminakun:20171212061232j:plain