小島慶子さんのツイートに、次のようなものがありました。
自分も気づかずにセクハラしてたかも…昔はそんな意識もなかったから…と過去の言動を後ろめたく思ったり、不安になる人は男女関わらず大勢いると思います。私もそうです。でも、気づくことや変わることは恥ずかしくないし、それを周りの人とシェアして「もうやめよう」と言えば、現状が変わります。
— 小島慶子 (@account_kkojima) 2017年12月26日
私自身も、セクハラの加害者であったことがあります。正直に認めたいと思います。「気づくことは恥ずかしいことではない」という小島慶子さんのツイートに勇気を頂いたので、内省も込めて、私のセクハラ加害体験を懺悔したいと思います。
私のセクハラ加害体験は、男性に対してのセクハラ
私、性に対して若干の嫌悪感を持っているので、女性に対してのセクハラをしたと自覚しているエピソードはない……と思う。もちろん、私の自覚がないだけで、私の言動に傷ついた女性が皆無だと言うつもりはない。ただ「何かあるか?」と聞かれて即答できるようなエピソードがない。
その代わりといっては何だけど、私は男性に対するセクハラ経験がある。
童貞いじりに加担した私
最近流行っている(?)「童貞いじり」ですが、私にも加害経験があります。私のかつての職場の後輩に、童貞くんがいた。
若手が集まる酒の席で、彼が童貞であることを肴にして飲むことがよくあった。ある時、ひとしきり飲んだ席の後、私の同僚の発案で
「よし!今から後輩くんの童貞を捨てに行こう!」
とノリで決められたことがあった。
そこから歓楽街にいき、後輩だけを風俗店(関西では有名な、旧赤線地帯のお店)へ送り出したのでした。
私は内心、
(こんなノリで、人生の思い出が作られてしまったかわいそう)
と思っていたのだけれども、場の空気とノリには勝てず、黙って彼が風俗店に消えるのを見守った。
今考えると横暴であり、傍観していた私も卑怯だと思う。先輩だからと言って、彼の性体験の決定権を持っていいはずがない。そして、場の空気に逆らえずにただ黙って見ていただけの私も、セクハラに加担をしている。
反面、私自身にもいじられた経験が
私がまだ20代前半だった頃、私の配属先の同期数名と飲みに行くことがあった。そのうち、2名は女子の同期だった。
お好み焼きを食べながら飲んでいると、そのうちの一人の同期(男性)から、唐突にこのようなことを聞かれたことがあった。
同期(男)「ミナオ、彼女いないよな?」
私「ああ、いないけど?」
同期(男)「ヤりたくなったらどうしてるの?」
私「……」
私は、女子の同期の面前でこういうこと聞かれ、返答に困窮した。困窮するところが私らしいよね😅
「なにもしない」
「我慢する」
とか言えばいいのに、私の(悪い意味で)正直なところが出たのかもしれない。
でも、私の性的な部分に、暴力的に踏み込まれたような気がして、いい気持ちはしなかった。ただし「やめてほしい」と言えずに、ただ愛想笑いをするだけだった。
こういうふうに突然球が飛んできても、どう対処したらいいかわからず、ただ愛想笑いしちゃうことってあるんだよね。
浮気は男の魅力なのか
そして私が最高に嫌いであり、セクハラだと思っているのが「浮気自慢話」である。男同士の飲み会ではたまにあるのだけれども、妻帯者が「俺は誰それと浮気をした」というようなことを自慢げに話をすることがある。
そういう人は相手にせずに放っておけと思われるかもしれないけれども、いちいち無用は反応をしてしまうのが私のダメなところ。腹たっちゃうんだよね。
私の独断と偏見から言うと、浮気自慢をするような男は相手にしないほうがいい。自分の「男らしさ」を証明するために、浮気という人を傷つける行為を持ち出して、箔をつけているのだと思う。端的に言うと、男同士のマウンティングの一種であり、「浮気ができるほど男性的魅力にあふれた俺すごい。お前とは違うんだ」という、虚栄心を満たすためにやっているんじゃないかと私には見える。
反対に言うと「浮気をした」という事象を借りなければ、自分の男らしさを証明できないほど「持たざる者」とも言えるし、男らしさに拘泥しているとも言える。かわいそうなヤツだと割り切ればいいのだけれども、いちいち反応して感情が動いてしまう、他人に左右されやすい私なのです。
自分が加害者であるということを自覚して「もうやめよう」のきっかけをつかみたいというのとあわせて、いちいち他人の言動に反応しない自分になりたい。
そしてそんな私のちっぽけな話はともかく、ハラスメントで不快な思いをする人がいない世の中を作りたい。