「男の産後うつ」になったようだけど女装したらなおったみたい

手加減されるのが死ぬほどイヤな私

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うちの子どもちゃんは負けず嫌いな性格で、遊びやゲームでも、自分が負けると怒り出します😓

先日、私と子どもちゃんはすごろくをしていたのだけど、子どもちゃんが怒るといろいろ厄介なので、サイコロの振り方を工夫して、わざと小さい目が出るように振っていたのでした(せこい)。

私のバレバレの怪しい振り方に、さすがの子どもちゃんも気がついた様子。

「ちゃんと遊んでくれない!!」

と泣き出したのでした。

勝てば怒るし、手加減しても怒るしで、「手も抜かずに全力ですごろくやって、その結果負けるなんていう高度な技はできないよ~」と途方に暮れる私💦

 

 

 

そういえば私も手加減されるのが死ぬほどイヤ

子どもちゃんを見ていて思い出したのだけれども、私も子どものころは手加減されるのは死ぬほど嫌いだった。すぐムキになる私に対して、よく兄がファミコンでわざと負けてくれていたのを思い出す。その度に腹立たしく感じていたなあ、私。

ゲームの手加減だけではなく、他人に何かを譲歩されるのもすごくイヤだ。

例えば先日も、朝に子どもちゃんがぐずってしまったことがあった。奥さまも私も、もう仕事にいかなければならないにも関わらず、まだ子どもちゃんはお着替えもできていないし、朝食も取れていない。

私は

(こりゃ、訪問先に電話して、ちょっと遅れるというしかないか……)

と覚悟していた。

すると奥さまが

「私、少し遅刻してもなんとかなるから、仕事に行ってきていいよ」

と私に言う。

仕事に出かけなければならない私に気を使ったのだろう。

なんて気遣いのできる素敵な奥さま❕と私自身も後になっては思うのだけれども、そう言われた瞬間は、ありがたいとは思わずに、反対にイライラしてしまう。

手加減というか譲歩というか、妥協という、気を使われたというか、「私だってそのくらいできるのに❕」と思うことを他人にさせてしまい、自分が負けたような気がするのだ。

こういうのに勝ち負けなんてないのは、頭ではよくわかっているのだけれども、心がそうは認識してくれないところに私のダメなところがある。

 

どうして手加減されることが死ぬほどイヤなのか

まず一つ思うのは、手加減されるということが、下に扱われている(子供扱いされている)ように感じ、劣等感を感じているからではないかということかな。

「お前には無理だろう。だから手加減してやるのだ」

と言われているような気がする。

まあ実際無理なことも多いのだけれども、私にはできないということを認めてしまうと、自分の無能さ、無力感と向き合わなければならない。それを認めたくないので、イライラしたり反発したりするのだろうと思う。

 

そしてこれは「投影」なのではないかということ。

正直に言うと、私も他人に対して手加減するときは

「ハイハイ。負けてあげりゃいいんだろ。仕方ないな」

という気持ちで接していることは否定できない。私自身がそういう気持ちで他人に接しているので、反対に他人から手加減されたときには、相手から「負けてあげりゃいいんだろ」と言われているように感じてしまうのだろう。

 

 

つまり「他人から手加減される程度の無能なくせに、プライドだけが異様に高い」というのが私だということ😓

 

だったら無能のままでいこう

でも、いちいち他人の手加減や譲歩の反応して、イライラするのも疲れるし、私自身も好きじゃないんだよね。

これまではそういうのをむきになって否定したり、自己研鑚して見返してやろうと努力したりしていたけれども、あらゆる分野において「もうここまでくれば見下されないだろう」というレベルに達するなんて不可能だしね。

 

そもそも「勝ち」とか「負け」とか、「有能」とか「無能」とか、他人と自分をなんらかの尺度で比較をして、他人より上に行かなければ自分には価値がないと思い込んでいるところに、私の問題があるのだ。

 

だったらもう

「私は何ひとつロクにできない、手加減されても仕方のないドジでノロマなカメです❕」

と開き直って、無能な自分を受け入れながら生きるほうが圧倒的に楽かもしれない。

 

 

世間では一般的に「自己肯定感は成功体験の積み重ねで培われる」と言われるけれども、ダメな自分を認めることも、立派な「自己肯定」なんじゃないかな?☺

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