「男の産後うつ」になったようだけど女装したらなおったみたい

難しい資格を取れば、ダメな自分を底上げできるか?

先日、取引先の人から「ミナオさんはどうやって資格を取ったんですか?」と訊かれました。

私はある国家資格の保持者なのですが、その取引先の人は、私の保持している資格の取得に頑張っているのだそうです。しかし、今年の試験で失敗をしたらしく、私にそのコツをたずねてきたという訳でした。

 

 

自分に自信をつけたいから資格を取りたいという取引先

そもそも私の保持している資格はたいした資格ではありません。これがあるから将来が安泰だとかいう資格ではありません💦(もはや現代にはそういう資格は存在しないかもしれないけど)

なので、なぜこの資格を取ろうとしているのかと取引先の人にに尋ねてみると、

  • 自分には何も得意とするものがない
  • このまま何もなく歳をとっていくことが嫌だ
  • 資格があれば仕事にも箔がつく
  • 資格を取れば、自分にも自信がつく

ということでした。

あちゃ~(;^ω^) こりゃ完全に昔の私だわ💦

 

ダメな自分を底上げするために資格勉強に励む私

私も完全にこういう思考で、資格取得を目指していました。簡単に言うと、資格を取ればダメな自分の底上げが楽にできるのではないか、と思ったわけでして。

しかし実際はかなりつらい勉強生活を送ることになりました。TACとかLECみたいな資格の学校に通っていた私は、他人のことばかり気になっていたのです。このクラスで落ちこぼれたくない、成績のいい人に追い付きたい、誰かに追い抜かれたくないなどと、常に自分の立ち位置を図るものさしは他人にありました。

だから受験最初の年、不合格になった時はとてもつらかった。私はあの人に負けた。私はあの人に勝てなかった。こうなりたくないと思っていた落ちこぼれの人と同じになってしまったという気持ちで、かなりの自己嫌悪をした。

当時、他人との比較でしか自分の価値を測れなかった自分には、不合格という事実はかなり受け止めるのが重かった記憶があります。

取引先の人の話をきいていると、そんな過去の自分がよみがえってくるようでした。

 

合格をして自信はついたのか。それは否!

その翌年、試験には合格しました。だからといって、私は自信に満ち溢れたわけではありませんでした。なぜなら、合格はしたものの、勉強が足りない(理解がまだ浅い)ということは自分自身が一番よくわかっていましたし、私と同じように合格をした成績の良かったあの人と比べて、自分はまだまだ至らないという自覚があったからです。

資格がとれたことは確かにうれしかった。しかしそのうれしさというのはうたかたの夢のように一瞬にして消えていき、すぐさま「このままじゃ自分はだめだ」という、自分へのダメ出し作業が再開されたのです。

資格には独特の怖さのようなものがあると私は思っていて、点数や合否という形で結果が見える化されているので、他人と自分の比較が容易にできるということです。もちろん、それが勉強をするモチベーションになることは否定はしません。しかし、比較可能な物差しがあるということは、自分のダメさ加減も他人との比較の中で浮き彫りになるということでもあります。

 

物差しを他人に置くのはつらいことだ

私は資格勉強をしているときは他人のことにしか目が向かなかった。勉強した内容を血肉にするというよりも、負けたくない、勝ちたい、資格を取って「すごい!」と言われて承認欲求を満たしたいと、常に物差しを他人に置いていた。

そんな勉強が楽しいわけはないですね。その勉強をしていた時間がムダになったとは言いませんが、あまりに苦しくて、その後は自分の記憶からも封印をしています。当然、資格保持者であるということは、対外的にもほとんど語っていません。

ダメな自分を底上げするために資格をとったのに、底上げができるどころか、そこの浅さを思い知る結果になったのですから、世話ねえな、という感想しかありませんね😅

難しい資格を取ればダメな自分が変わるかもと思ってしまうのは、中学や高校のときの受験勉強と同じことの繰り返しだと思います。いい学校に入ったからと言って幸せになれるわけではないのですから、大人になった私が当時と同じ思考をしてはいけないのでしょうね。


試験のある8月の暑い日差しは、資格で自分が底上げできると信じ切っていたことを思い出させます。資格のようなものがなくても、自分は自分で素晴らしいと思えるのが、一番いいんでしょうけどね。

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